木曜第二研究所

見える範囲を、ちまちま書いております。

報告書「地元論ver1,0]

観測をしていて感じたことは、地元に残る人間/残らない人間には何か価値観の違いが
あるようだ。

 地元に残る人間は大人になっても小中高一緒の子と付き合っては分かれるし、
何かしら早熟であるように見える。就職、結婚や出産も早い気がするし。まるで2000年代の少女漫画を見ているようだ。実際そのあたりの影響もないわけではないんじゃないか。砂時計とか、恋空みたいなのが全盛期の時に中学生を迎えたもので。
楽しくみんなで毎日過ごして、学校の延長線上で働いて、素敵な彼氏作ってデートして修羅場って、いつか結婚して子供を産む。絵にかいたような人生を描くのは困難だとずっと思っていたけど、残る人間は往々にして人生の満足度が高そうに見える。あくまで見えるだけだけど。

 一方、地元に残らない人間、残るのを嫌がった人間は当たり前だけど遠くに行きたいんだよな。地元に居たらできない/居たくないという気持ちの表れだと思っている。少なくとも私はこんな奴らとは違う、遠くて話が通じる人と話がしたくて遠くにいっている。実家暮らしだけど、常に意識しているのは地元ではなくて職場で在ったり池袋の友達のことだったりする。身体と心のいる場が違うわけ。
きっといろんな事情があるんだろうけど、人を平気でバカにしたりいじめたりするような人間のいる場に自分が居る事が許せなかったから、地元にいないことを選んだ。

 このようにおおまかな世界の分布が分かれているなか、さらに地元にいることを選んだ/それ以外の選択肢はなかった のグループもあるんじゃないか?と思っている。
地元にいる事を選んだのと、地元にしかいることができないのは天と地ほどの差がある。悪いことしてる奴は大体地元にしかいれないんだ。彼らはどこからどこまでが世界なんだろう。これは中学生のときからずっと考えている。構成要素、社会的な序列、突き動かす価値観や美意識。これらは未だ理解を得たことはなかったし、参与する機会もなかった。ヤンキー論というよりは地元論。理解できなかったものを中学生の時は嫌悪したけど、今は理解したい。

他人を偉そうに見てしまうのは、もう自分の中で仕方ないというか、あなたと私は理解できないのはもうしょうがないから、少しでも知りたいじゃない。友達になりたいわけじゃないし、わかった気になって評価をしたいわけでもない。ただ純粋にあなたを分析させてくれ~~~~~~~、知りたい見たい、どうしてあなたと私は違ったの??どうしたらあなたという人間があなたたらしめるの教えてくれ~~~~~~

そしたらいろんなことに納得できて、ようやく目の前の人に対する自分のスタンスを決めることができる気がするんだよな。