木曜第二研究所

見える範囲を、ちまちま書いております。

報告書「自分を大事にできるのは自分だけ」

 

当たり前のことだけど、それがなかなかできない。

 

自分を労わることはあっても、誰かにいたわってもらうことの方が少ないから、

誰かに優しい言葉や日頃の自分を肯定してもらいたい。

けれど、その肯定は必ずしも真に求めているものじゃない。

どうやって人と心を交わすんだ?最近一番の謎。コミュニケーションなんて取れない。

 

孤独であると漏らした人が次の日餃子パーティをしていたり、週に一度は誰かしらが家に来て宅飲みしてる。実態なんてものはそんなものである。

正直はっ倒してやりたかった。なんだよお前、全然孤独じゃないじゃん。私と一緒にするなよ、なんなら私より孤独でひどい奴みたいな顔してんじゃねえよ。

てめえの自己陶酔に私を使うな。

口だけの孤独を許すな。

と思ったが、そいつにもそいつの孤独がある。結局他者を理解することはできないから、私はあいつの孤独を尊重することしかできない。

 

他人の自己陶酔に嫌になる。普通の会話をしていても行きつく先がそこなのは、どこかでルート分岐を間違えているからなんだけど、私は分岐点が未だにわからずにいる。

言語化して伝えると傷ついた顔をする。すると私が悪い奴みたいになる。この際悪い奴でもいいや(本当はなりたくなんてない)。

 

孤独が孤独であることを失念してしまう私も私だけど、せめて自分は人の孤独をあしらう人間にはなりたくないし、パフォーマンスで同情を買おうなんて真似はしたくない。でも誰かにとっては自己陶酔パフォーマンスなんだろうな。