木曜第二研究所

見える範囲を、ちまちま書いております。

報告書「カエルのお尻」

令和元年。鶏は絶滅の危機に陥った。

あまりにも急に鶏が減ったためフライドチキン屋は軒並み姿を消し、からあげクンはコンビニに並ぶことはなくなった。あまりにも急な喪失に誰もが嘆き品種問わずに鳥を貪る禁断症状が流行するも、しばらく経つと世の中には肉がごまんとある事を思い出した。なんだ、鶏肉がなくたって、美味しい食生活を送ることなんてわけないのだ。なぜ我々はこんなにも鶏肉を求めていたのだうか。こうして人々の鶏肉禁断症状は治り、クジラ肉の様に懐かしいメニューとして平成生まれの記憶に刻まれた。  

 

それから年月が経ったある日。鶏肉を懐かしむ両親のためにせめて、せめて似たような食べ物をあげたいと1人の少女が立ち上がった。この世にはない味を想像し作り上げる。それは厳しく果てしない日々だった、取り憑かれたように命を貪る彼女。その勢いはとどまることを知らず友達は激減し警察のお世話にもなった。しかし彼女は諦めない、ここまできたら後には引けない。そしてついに彼女がたどり着いた食材は「カエル」だった。日本にいるようなちゃちなカエルではない。わざわざタイに買い付けに行った大きいサイズのものである。それを丁寧に処理して串焼きにする。香ばしい匂いは家中に広がり両親は在りし日の鳥貴族をにおいの中に見た。皿に盛られた姿はグロテスクであるが目を瞑って食べると、その味はまさに鶏肉であった。実はちょっとちがうのかもしれないが多分まぁこれだ、うん、これ、焼き鳥!!両親は娘にたんまりのお小遣いとハグをした。娘はここまで両親に褒められると思わなかったので少し胸が痛んだ。

というのも、彼女はひとつだけ、言えないことがあった。というのも、ある部分だけまるっと食べきってしまったのである。毒味として一匹食べるのは決まっていたが、しかし、その部位だけ全部ペロリと平らげてしまった。こんなに美味しいのをパパとママにあげられない自分に悲しくなりながらパクついてしまったのはカエルのぼんじり。つまり、お尻だ。

 

 

彼女は知らないがぼんじりは一匹からわずかしか取れない脂の乗った美味しい部位なのでまぁ、しょうがないよね、というお気持ちなのである。